栗秋祥梧インタビュー

インタビュー

公開日:2019/9/30

取材・撮影 茂田浩司

「他団体に出たくないので、僕を見たいならREBELSに来てください。
2、3年後、東京ドームのリング上で女優にプロポーズします(笑)」

 10月6日(日)、東京・後楽園ホール「REBELS.63×KNOCKOUT」のセミファイナルで「灼熱のコンキスタドール」ISKAスペイン王者ミケール・フェルナンデスと対戦する「破天荒な天才児」栗秋祥梧(クロスポイント吉祥寺)。
 1年前、大分から上京してクロスポイント吉祥寺に移籍。以前は「練習嫌い、遊び好き、ポエマー」をイジられたが、最近は「エースの自覚」を感じさせる発言が目立つ。日本テレビ「News Every」の特集で紹介されてから「吉祥寺で声を掛けられることが増えました」と栗秋。
 1年間の東京生活で「人気イケメンキックボクサー」栗秋はどう変わったのか?






「REBELS愛」の原点。
「九州時代に救ってくれた山口会長は僕の中で“絶対”」



 9月21日(土)、東京・吉祥寺のクロスポイント吉祥寺で、REBELSとKNOCKOUTの合同公開練習がおこなわれた。
 栗秋祥梧は「美女キックボクサー」ぱんちゃん璃奈(10月4日(金)「KNOCKOUT×REBELS」でJ-girls王者MIREYと対戦)とのスパーリングを披露。時折、得意の左ボディを強打する素振りを見せて、ぱんちゃんを驚かせ、見守っていたギャラリーをわかせた後、栗秋はマイクを持ってこうコメントした。
「今大会もそうですけど、これから先もしっかりとREBELSを盛り上げて、REBELSのエースとして他団体に負けないように頑張っていきたいです。REBELSを先に東京ドームへ、日菜太さんに負けないように追い抜いて、しっかりと結果を残していきます」

 初めて栗秋のコメントを聞いた人は、今年8月「K.O CLIMAX2019」出場の際に「いい試合をして、来年の新日本プロレス・東京ドーム大会に出場したい」とぶち上げ、賛否両論の議論を巻き起こした日菜太(クロスポイント吉祥寺)を念頭に、親しみを込めた「日菜太越え宣言」と受け取ったかもしれない。
 しかし、栗秋は今年に入ってから「REBELSを世界に持っていきたい」「REBELSが東京ドームでできるぐらいデカくしたい」と事あるごとに言い続けているのだ。

 今も、栗秋のSNSには「他団体での試合を見たい」という声が多く寄せられている。
「そういう声はありがたいし、普通にすごく嬉しいです。でも、僕は山口会長(*山口元気REBELS代表兼KNOCKOUTプロデューサー。クロスポイント吉祥寺の会長でもある)の思いを僕なりに背負ってるつもりなんで。僕がやるべきことは『僕が見たかったらREBELSに来てください』と、たくさんの人を集めてREBELSを盛り上げていくことかな、って」

 かねてから不満に思っていることがある。
「選手は一人一人に思いはあると思うんですけど、僕はREBELSを踏み台にして他団体に出て、メジャーになると『自分だけで上がってきた』みたいな顔をしてる人がすごい嫌なんですよ。
 どんなにメジャーになっても自分の主戦場を忘れない選手もいるじゃないですか。(那須川)天心選手はRISEに帰ってしっかり盛り上げているし」

 栗秋の主戦場はREBELS。この思いはブレない。
「僕は、九州時代に救ってくれたREBELSを盛り上げたいんです。正直言うと、KNOCKOUTにも出たくないです。しっかりREBELSを上げてからならば、というのはありますけど……」

 まだ九州・大分にいる頃、活躍の場を求めて栗秋はREBELSに売り込みのメールを送った。自らを「和製センチャイです」とムエタイ伝説のテクニシャンの名前を出して。その積極的な姿勢を山口会長は気に入り、REBELS出場が決まった。
「だけど、僕のREBELS出場が発表されたら、悪い意味で反響があったそうなんです。僕を嫌う人は『なんで大きな舞台に栗秋を出すんだ』って。でも、会長は『そんなのは関係ないよ』って僕を出してくれたんです」

 2016年7月10日、ディファ有明で開催された「REBELS.45」で、栗秋は当時のリングネーム「Phoenixx祥梧」としてREBELS初参戦を果たした。
「僕は『ここしかない』と思ったし、一緒に九州で頑張ってきたお兄ちゃんにも『お前はREBELSで戦っていけ』と言われて、それで九州で獲ったベルトはすべて返上したんです。
 去年、KNOCKOUTに出ることになって(5月と9月の大阪大会に出場)、会長に『大会が終わったら東京に行きます』と伝えました。それまで会長と顔を合わせたのは、僕が東京に試合しに来た時の2、3回でしたけど全然不安はなかったです」

 栗秋が「REBELSで戦っていく」と決めた試合がある。
「一番衝撃だったのが、梅野源治選手とヨードレックペットの試合(REBELS.46で開催されたラジャダムナンスタジアム認定タイトルマッチ)です。僕も同じ大会に出てて、すごい刺激を貰ったんですよ。九州でムエタイベースでやってましたけど、九州ではあり得ないし、この日本でヨードレックペットに勝ってラジャのベルトを巻いた梅野選手に憧れました。山口会長から『梅野選手は18歳でキックを始めて、5、6年でムエタイのトップクラスと戦うようになった』と聞いて『夢があるなー』と思って」

 端正な顔立ちをクシャっと崩して、栗秋はこう付け加えた。
「メールで売り込んだ時から思ってましたけど、会長は『変わった人』が好きなんじゃないかな、って思うんです(笑)。クロスポイント吉祥寺に移籍してきた選手でいうと、日菜太さんがそうだし、今は僕と(鈴木)宙樹さんで(笑)」






栗秋はいつも厳しい相手とマッチメイクされてきた。
「『楽な相手だ』と思うと練習しなくなるから(笑)」(山口会長)



 山口会長の、栗秋に対するマッチメイクには一貫した方針がある。
「栗秋にはいつも『これは厳しいかな?』という相手を当てるようにしています。相手を見て『これは楽に勝てる』と思うと絶対に練習で手を抜くから(笑)」

 そのことは、栗秋も当然分かっている。
「REBELSに初めて出して貰った時が沖縄のTENKAICHIのチャンピオン。それからずっとチャンピオンとやらせて貰ってます。特に東京に来てからはどんどん相手のレベルが上がってて(苦笑)」

 上京後、REBELS王者の古谷野一樹と八神剣太を倒し、KING強介とは激しい打ち合いを演じて、延長で判定負けを喫したものの、栗秋の強打でKING強介は怪我を負って次戦を欠場した。
 そして迎えた6月の「REBELS.61」。ジュニア時代に24冠を達成した19歳の若き怪物、安本晴翔(橋本道場)とのREBELS-MUAYTHAIフェザー級王座決定戦。栗秋にとって上京後、初のタイトル獲得のチャンスだったが、多彩なテクニックを駆使して試合を支配する安本の前に、栗秋の強打はほぼ完封された。
 唯一の見せ場は3ラウンド。栗秋がヒジ打ちで安本の目尻を切り裂き、一瞬、動揺した隙に必殺の左フックを打ち込むことに成功。
 さすがの安本もグラついたが、直後にドクターチェックが入り、試合再開後はなおも倒しに掛かる栗秋に対して、平常心を取り戻した安本も反撃。4ラウンド以降は、栗秋のスタミナが切れて、安本が危なげなく勝利をおさめて栗秋はベルトを逃した。

「3ラウンドは『いける』と思ったんですけど、あそこでストップが掛からなくて自分自身が折れました(苦笑)。ヒジで切って、ドクターが見てる時に『試合を止めてくれ!』と思ってて、再開した時はパンチで仕掛けたのに倒せなくて。インターバルでもセコンドの声が頭に入らなかったです。頭の中はずっと『オレのパンチで倒れねえし、止められなかったし』って。そこで結構、自信を無くしたというか、4、5ラウンドは気持ちが折れてました(苦笑)」

 安本戦から学んだことは多かった。
「倒す力は確実に付いてきてるんですけど『継続して手数を出していくこと』から逃げてたな、って。やっぱり疲れてしまうんで、そこから逃げてしまってたことを安本選手と戦って改めて思いました。
 安本選手はすごい戦いにくかったです。僕のパンチの距離でハイキックを出してきたり、モーションが小さいんで蹴り技のタイミングも読みにくくて。でもそこでビビッた自分の負けだなって思います」

 移籍後、初の完敗だったが「栗秋には厳しい相手」という山口会長の方針は変わらない。8月の「REBELS.62」では、ムエタイの元ルンピニー9位、ジョー・テッペンジムと対戦。現在は那須川天心のトレーナーとしてミットを持っているが、まだ25歳と若く、今年1月までタイで試合をしていたほぼ現役の選手。しかも、試合はムエタイ選手が得意とする「ヒジ打ち、首相撲ありの」REBELS-MUAYTHAIルールになった。

 ところが、栗秋は「それどころではない状態」に陥っていた。
「試合の2週間前からまったく練習ができなかったです。右足に肉離れを起こして、左でずっと練習してたら左の足首のスジを痛めて。日菜太さんは経験があるから『動かさない方がいいよ』って言ってくれてて。仕方なく上半身だけを鍛えてたら、日菜太さんに『お前の気持ちを見せろよ。そういう試合をしろよ』って。その言葉で救われました」

 ジョー戦が「ひじありのREBELS-MUAYTHAIルール」だと気づいたのは試合の3日前。
「ずっと、ヒジなしの『REBELSルール』だと思ってて、何気なく対戦表を見たら『REBELS-MUAYTHAIルール』って(苦笑)。タイ人相手にヒジありか、と思ったんですけど『逆にチャンスだな』って。足は使えないし、かえっていいチャンスだってプラスに考えて。
 試合まで1発も蹴れなくて、試合で1発蹴ってみたらジョー選手にスウェーでかわされて、軸足の左足のスジが『ピキッ』って。それで痛くて蹴れなくなったんで『もうパンチしかない』って。開き直ってパンチを打ったら倒れてくれたんです(笑)」

 ジョーからダウンを奪った渾身の左ボディ。会場を震撼させた強烈な一撃は、栗秋がこの試合のために用意した「秘策」だった。
「あのボディの打ち方は、トレーナーさんに教えて貰ったんです。足の使い方、力の抜き方、当たる瞬間のインパクトの残し方を細かく教わって、それだけをずっと練習してました」
 ヒジ打ちのカウンターが世界一上手いムエタイ選手相手に、踏み込んでボディを狙うことはリスクが高い。だが怪我をして蹴りが出せない以上、パンチで勝負する以外にない。

 加えて、栗秋はひそかにこの試合を「背水の陣」で臨んでいた。
「安本選手に負けて、ここでジョー選手にも負けて連敗したら、REBELSに出す顔がないです。連敗して第1、第2試合で戦ってる同じフェザー級の人と試合するぐらいなら辞めよう、って。僕は他団体に行くつもりはないんで、腹を括って九州に帰ろう、と」

 怪我していて満足に蹴れないことに加えて「連敗したら辞める」と決めただけに、強いプレッシャーが栗秋を襲った。が、その背中を支え、力強く前に押したのは日菜太の言葉だった。
「入場の前はちょっと怖くて、日菜太さんに『怖いです』と言ったら『1R目にパンチを思い切り振って、自分の気持ちを見せてこい!』って。それでスイッチが入りましたね。あと『ここで負けたら、お前、ただのポエマーだからな』とも言われて(苦笑)」

 栗秋は、1ラウンドに強烈なボディでダウンを奪った。ジョーは2ラウンドに形勢逆転を狙い、首相撲で勝負を仕掛けてきたが、栗秋のタテヒジがジョーの目尻を切り裂いてドクターストップのTKO勝利。引退と「ただのポエマー」に成り下がる危機を回避した。
「インターバルで会長に『相手はお前のパンチ力が分かったから、2ラウンドから徹底して組んでヒザで来るぞ』と言われて、隣でうなずいてたウーさんが『そこにタテヒジだよ』って。その通りになりました(笑)」






ミケール戦は「勝てば大きい」
狙うはISKAの世界ベルト。そしてREBELSを大きくして……。



 試練は続く。10月6日(日)の「REBELS.63」では、ISKAスペイン王者、ミケール・フェルナンデスと対戦する。
 フェルナンデスは、8月18日の大田区総合体育館「K.O CLIMAX」初代スーパーバンタム級王座決定トーナメントに参戦。1回戦で小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)に敗れたものの、持ち前のタフネスと強打で小笠原を苦しめた。

「当日は会場にいましたよ。お手伝いで朝6時からリング作りにいって、セコンドして。大きな舞台なんで正直『またここでやりたいなー』って。
 フェルナンデス選手はKO率が高くて(15戦13勝12KO)、瑛作さんのパンチをボコボコに食らってるのに倒れなかった。強い相手ですけど、会長はいつも僕の対戦相手はガツガツ来る相手を選んでくれるんで『また打ち合いをすることが望まれてるんだろうな』って思ってます。
 今回は勝てばデカいです。前に、スペインでISKAのタイトルマッチをして負けたんですけど、その相手にフェルナンデス選手は勝ってるんです。瑛作さんもISKAの世界タイトルを持ってるし、僕も狙ってるんで、フェルナンデス選手に勝って次はISKAの世界タイトルマッチをやりたいです」

 今、栗秋は安本戦で露呈したスタミナ不足を克服すべく、山口会長が指導する「ジュニア強化クラス」で小中学生のジュニア選手たちにまじってスタミナ強化をはかっている。
「朝は弱いんで走ってないんですけど(笑)、プロ練が終わると走って、少し休んでから会長のジュニア強化クラスに出てます。基礎体力とか継続する練習で『ジュニアでこんなにキツい練習?』って思うぐらい、相当キツいです。最初は行きたくないって思ったんですけど、基礎から叩き直されて『これって自分に足りないところだな』って。
 今回の試合でスタミナをつけてきた成果を出したいですし、それが出来れば安本選手と再戦しても問題なしに勝てると思うんで」

 栗秋の思いは1つ。タフな相手を倒しまくって、エースとしてREBELSを大きくしていくこと。
「この2、3年でREBELSを大きく変えていきたいです。会長は、KNOCKOUTのプロデューサーになって、KNOCKOUTを盛り上げていくと思うんで、僕はREBELSの土台をもっともっと上げたいです。REBELS自体が上がったら、KNOCKOUTはさらに高い舞台になると思うんで。
 ただし、僕の中で会長は『絶対』なんで、会長が『あの舞台に出ろ』といえばそこに出ていって結果を出すだけです。だけど、僕が一番やりたいことはREBELSをどんどん上げていって、REBELSで東京ドームをやりたい。それで、リング上でプロポーズしたいですね、女優に(笑)」

プロフィール
栗秋祥梧(くりあき・しょうご)
所  属:クロスポイント吉祥寺
生年月日:1995年4月23日
出  身:大分県日田市
身  長:169cm
戦  績:54戦36勝(18KO)15敗3分

雅駿介インタビュー

インタビュー

公開日:2019/9/24

取材・撮影 茂田浩司

「帝王」梅野源治の後継者という自覚と覚悟。
「PHOENIXも、REBELSとKNOCK OUTも、僕が引っ張って盛り上げるためにスアレック選手に勝つ。
梅野さんに教わった『攻略法』で勝率はかなり上がってます」

 10月6日(日)、東京・後楽園ホールでおこなわれる「REBELS.63×KNOCK OUT」。メインイベントで「超攻撃型ムエタイ」スアレック・ルークカムイ(スタージス新宿)とのREBELS-MUAYTHAIライト級暫定王座決定戦に臨む雅駿介(PHOENIX)。
 当初は同級王者・良太郎がスアレックと防衛戦をおこなう予定だったが、8月18日大田区総合体育館「K.O CLIMAX」で雅が良太郎に3RTKO勝利。その際、良太郎が眼窩底骨折の怪我を負ったため、急遽、暫定王座戦が組まれることとなった。
 自らの実力で引き寄せたビッグチャンスを前に、雅は記者会見で「この1戦に人生を懸ける」と言い切った。その決意の裏にあるものとは何か。






梅野源治にあこがれて名門PHOENIXへ
「安いチケットを買って、遠くの席から試合を見てました」



 父は鉄筋工で自ら会社を経営。2つ上の姉と1つ下の弟の三人兄妹。
「親父は下町育ちで、昔気質で、子供の頃は怖かったです。友達から今も『駿介の父ちゃんって怖いよな』といじられるほどの名物父ちゃんです(笑)」
 その父は「超」が付くほどの格闘技ファン。雅もその影響で格闘技にのめり込んだ。
「PRIDEとK-1は必ず親父と一緒にテレビで見て、その後は『格闘技ごっこ』をして遊んでました(笑)。子供の頃、僕にとって格闘家はあこがれのヒーローだったんです。リアルタイムだと『魔裟斗対KID』、あと須藤元気さんとか見てました。中学、高校の頃は、昔のPRIDEの映像とかを見まくってましたね」

 高校生になると地元市川のジムでキックボクシングを始め、国士舘大ではキックボクシング部に入部。同時に、家と大学の間にあって通えるPHOENIXに入門した。
「一番強く影響を受けたのは梅野源治さんですね。大学生の頃はチケットを買って見に行ってました。安いチケットしか買えないんで遠くから(笑)、梅野さんとゲーオの試合とかポンサネーとの試合とか、携帯で動画を撮って『技術を取り入れよう』とかじゃなくて、単純に面白い漫画やドラマを見る感覚で家で何度も何度も見てました」

 2014年、学生キックのライト級チャンピオンに輝き、2015年3月にプロデビュー。順調にキャリアを積んだものの、大学卒業時に人生の岐路に立った。
「めちゃめちゃ迷って、就活もしました。親父は『好きなことをやればいい』と放任なんですけど、母親からは『就職するか、家を出るか、どっちかにしなさい』と言われました。『もし好きなことをやるなら、実家を出て自分で生活しながらやりなさい。実家にいながら好きなことをやるのは無理だから』と」

 雅は家を出て、一人暮らしをしながらキックボクシングを続ける選択をしたが、生活のためのアルバイトと日々の練習を両立させるのは難しかった。
「フリーター生活は本当に厳しかったです。それで、国士舘大キックボクシング部の1コ上の先輩で、今はテコンドーでオリンピックを目指している沖倉辰也さんに相談したんです。沖倉さんは株式会社ミライユという、格闘家に仕事先を紹介する事業や、タクシードライバーや警備員さんの人材紹介をしている会社に『実業団』という形で入社されていて。沖倉さんに『社長と話してみたら』と紹介して貰って、ミライユの岡田侑也社長とお会いして入社することが決まりました」

 2017年8月に株式会社ミライユに入社。最初は定時まで勤務をして、夜はキックボクシングの練習に打ち込んでいたが、今年からキックに重きを置いた勤務形態に変わった。
「最初は毎日定時まで働いて、夜は練習をする生活で、練習と試合をこなしながら仕事も営業だったんですけど表彰されたこともあって、自分で言うのもアレですけど両方を全力で頑張りました(笑)。
 それで、タイトルマッチの話をいただくようになったので『必ずタイトルを獲るので、キックに集中させてほしいです』と話したら、社長から『あと5、6年はキックに集中して、その後に会社に貢献してくれればいいから』と言っていただいて、今の週休三日の勤務形態に変わりました。月、水は午前中のみ、火、木は17時までの時短勤務で、金、土、日は休みです。空いた時間にフィジカルトレーニングや他の練習を入れることが出来るようになって、僕のパフォーマンスは少しずつ上がってきた実感がありますね」

 雅は、2月のムエタイオープンで翔・センチャイジムに勝ってライト級王座を獲得し、6月のスックワンキントーンで永澤サムエル聖光に勝って同じくライト級王座を獲得して2冠王に。着実に成果を出してきた。
「会社にはめっちゃ感謝してます。生活の不安もなく、いい環境でトレーニングできて、試合には社長や社員の人たちもたくさん応援に来てくれるんです。自分が好きでやってることを、こんなに応援して貰えるのは素晴らしいことだなと思いますし、感謝しなければいけないと思ってます。
 たとえば、とても疲れていたり、他の誘惑がある時は『今日は練習を休んでしまおうか』という時もあるんですけど、会社を早上がりさせて貰ってる僕の給料は他の社員が働いて捻出して貰ったものなので『いや、もっと頑張らないと』と思います。応援してくれる人がいなければ、ここまでやれていないかもしれないですね」






REBELSと「このベルト」への強い思い
「PHOENIXの先輩が戦う姿をリング下で見てきて、
今度は僕がメインで、人の心を動かす試合を」



 10月6日(日)、「REBELS.63×KNOCKOUT」(後楽園ホール)で、雅はスアレックとREBELS-MUAYTHAIライト級暫定王座をかけて対戦する。「超攻撃型ムエタイ」スアレックはこれまで様々な日本人キックボクサーをKOしてきたが、雅は「スアレック攻略」に向けて着々と準備を整えてきた。
 スアレックの強打を完封して勝利した梅野からは様々なアドバイスを貰い、スアレックと対戦経験のある杉本卓也とはスパーリングをして「スアレック対策」を練った。

「梅野さんからは『実際にスアレック選手と対峙しないと分からない情報』をかなり聞きました。僕は前口さんや梅野さんがスアレック選手と試合した時、リング下で見ているんですけど、梅野さんに『え、そういう感じなんだ』と意外なポイントを一杯聞いてて、だいぶ勝率は上がってますね(笑)。
 卓也君にも聞いて、梅野さんとは言い方とかニュアンスは違うんですけど、言ってることは共通してて『やっぱりスアレック選手はそういうところがあるんだ』というポイントも見つけました。卓也君からは全部教えて貰ったので、卓也君が試合前に用意した『スアレック対策』は今度の僕の試合で生きてくると思います」

 スアレック対策を練る中で、雅にとって嬉しいことがあった。
「いつも僕の対戦相手が決まると、梅野さんは知らない選手でもビデオを見てくれて『全然余裕じゃん』って言ってくれるんです。だけど、今回は『スアレック選手に決まりそうです』と話したら、初めて『スアレックは強いから、今の実力ならいける可能性もあるけど、相当頑張って練習しないと勝てないよ』と言われたんです。梅野さんの言葉は逆に嬉しかったですね。梅野さんが『強い』と認める相手と戦える位置まで来たんだなって。だから、余計に『勝たないと意味がない』と思ってます」

 今回のスアレック戦に向けた記者会見で、雅は「この試合に人生を懸ける」と言い切った。その裏には「自分がやらなければ」という強い思いがある。
 きっかけは、今年3月に加藤督朗会長が独立して自らジムを立ち上げるために、PHOENIXを去ったことだった。
「会長がいなくなる時『これからはお前がPHOENIXを引っ張っていかないとダメだぞ』と言われました。今、PHOENIXには僕よりも下のプロ選手が全然いなくて……」

 かつてのPHOENIXは、梅野源治を筆頭に、ハチマキ、郷州力(現・郷州征宜)、前口太尊、久保政哉といった個性と実力を兼ね備えたプロ選手を揃え、様々な団体で活躍していた。
 だが、現在、PHOENIXに残っているのは梅野、ハチマキ、雅のみ。
「梅野さんがガーっと強くなって、有名になっていった時期は、よそのジムの選手から『練習させてほしい』とか『移籍させてほしい』という声がすごい一杯入ってきたそうなんです。それって梅野さんのパフォーマンスの力だから、これからは僕が引っ張っていかないと、という気持ちは強いです。
 それはPHOENIXだけじゃなくて、山口さんがインタビューで『REBELSは世代交代の時期』と発言してるのを読んで、僕らの世代が盛り上げるんだ、という気持ちはもっと強くなりました。昔は『どうせわき役だしな』というところがあったんですけど、今は違います。『今はわき役だろうと、絶対にオレが中心にいって、REBELSとKNOCKOUTを盛り上げてやる』という気持ちでやってます。そこの意識は変わりましたね」

 雅には「REBELSのメインで、REBELSのベルトを掛けて戦うこと」に対する特別な思いがある。雅は、PHOENIXの末っ子的な存在として、先輩たちがREBELSでメインイベントを務める姿を、ずっとリング下から眺めてきたのだ。
「梅野さん、ハチマキさん、郷州さん、前口さんとPHOENIXの先輩たちがREBELSのメインで戦ってきた試合を、僕は全部セコンドの後ろ辺りで見ているんです。郷州さんと町田(光)さんの試合は半端なかったし、梅野さんや前口さんがスアレックさんと戦った試合や、ハチマキさんのタイトルマッチとかも全部見てきました。
 そもそも『REBELS-MUAYTHAIライト級』の初代チャンピオンはハチマキさんなんです。大好きな先輩ですし、その先輩が持っていたベルトだから、絶対にPHOENIXが取り返す、オレがジムに持ち帰るんだ、という気持ちはものすごく強いです。
 僕はデビュー戦が『WPMF×REBELS』のオープニングファイトで、4年半かけてREBELSのメインまで上がってきました。ずっとセコンドの後ろから先輩たちを見てきた僕が『今度は自分がやる立場だ』と思うと気合いも入るし『先輩たちを越えないといけない』と思っています。僕が、PHOENIXの先輩たちの戦う姿に強く影響されたように、今度は僕が見ている人に影響を与えるような試合をしないといけないと思ってます。
 僕は子供の頃、格闘家がヒーローだったんで、そういう存在になりたいです。昔の魔裟斗さんとか山本KID徳郁さんみたいな社会的な影響力のある選手になれるかは分からないですけど、僕の試合を見て貰って『明日から頑張ろう』とか、何かを感じ取って貰える選手にならないと。最初は一人でもいいですし、それが何百人、何千人、何万人にもなっていけたらいいですよね。
 スアレック選手が相手なら絶対に『誰かの心を動かす試合』ができると思ってます。ぜひ、応援をよろしくお願いします」

プロフィール
雅駿介(みやび・しゅんすけ)
所  属:PHOENIX
生年月日:1994年5月4日、25歳
出  身:千葉県市川市
身  長:173cm
体  重:61kg(試合時)
デビュー:2015年3月
戦  績:17戦15勝(7KO)2敗
タイトル:ムエタイオープン、スックワンキントーン・ライト級王者

龍聖(りゅうせい)&HIROYA代表代行インタビュー

インタビュー

公開日:2019/8/5

取材・撮影 茂田浩司

TRY HARD GYMが送り込む「秘密兵器」は、18歳の高校3年生、龍聖。
「レベルが普通に違うと思うし、1発で終わらせたい」(龍聖)
「練習での動きが出来たら、間違いないと思う」(HIROYA)

 TRY HARD GYMがREBELSに初参戦。
HIROYA代表代行が自信を持って送り込むのは18歳の高校3年生、龍聖である。
まだプロ2戦目ながら、7月13日の大会1か月前会見では「倒したい相手がいる。
ポエマーです」と同じフェザー級の栗秋祥梧(クロスポイント吉祥寺)を挑発する度胸を見せた。
龍聖とは一体、どんな選手なのか。そして、REBELSに旋風を巻き起こすのか。






HIROYAと大雅の影響でプロ志望に
「スーパースターを見てて『こっちに行きたい!』」



 龍聖がキックを始めたのは小学1年生。K-1が大好きだった父親の影響だった。
龍聖「ちょうどHIROYAさんがK-1甲子園で優勝した頃にキックを本格的に始めたんです。まだTRY HARD GYMはできてなくて、近くのジムに入って。そのころ、一緒に写真を撮ったんですよ」
HIROYA「ディファ有明だったかな。大雅がアマチュアか何かに出て、僕が付き添いで行ってて、小学生の龍聖と写真を撮ったんです」
 小3から3年間は、サッカーと並行してキックをやっていたが、TRY HARD GYMに移籍してからキックにのめり込んだ。
龍聖「トライハードに入門したのは、小6か中1だった気がします。子供のころは憧れた選手もいなかったけど、HIROYAさん、大雅さんたちスーパースターを近くで見てたら、こっちに行きたくなるじゃないですか(笑)」
HIROYA「小さいころから『上手いな』と思ってましたけど、こっちに来てから体が一気にデカくなって、どんどん強くなったんです」
龍聖「他のジムでは『新しく入ってきたら、最初にボコボコにして』みたいのがあると聞きますけど、トライハードはHIROYAさんもノップ(トレーナー)も『そういうのは良くない』という考えで、そういうことはないです。
 よく覚えてるのは、大雅さんに遊んで貰ってたんです。大雅さんは手を出さず、俺が一方的に打ってて、全然当たらないんですけど、やってるうちに何かを掴んだんですよ。ジュニアのころはパンチが当たらない、蹴りしか蹴れない感じだったのが、勝手にパンチも当たるようになってきて」

トライハードジムでは、元ムエタイ王者のノップトレーナーの指示のもと、HIROYA、大雅、松倉信太郎、堀尾竜司ら所属のプロ選手や、出稽古に来るプロ選手たちに揉まれて、龍聖は急速に実力を伸ばしていく。
HIROYA「龍聖は頭が良くて、吸収するのがものすごく早いです。大雅や松倉とか自分より実力が上の選手と一緒に練習してても、引かないで、いろいろと試しながらやってるんですよ。だから、自分の技術が身につくし、向上していく。あと、いい意味で『ムエタイかぶれ』じゃないけど、ノップの言うことをよく聞いて、すぐできるようになったり。去年の夏はタイに3週間合宿しに行って、もともとできなかった首相撲の基本を覚えて、帰ってきたらできるようになってたんです。今は(緑川)創さんとやっても、そんなに負けないぐらいできますよ」
龍聖「人間性も変わりました(笑)。トライハードに入る前、ジュニアでも結構試合してるんですけど、同じ階級の中では背が高かったんですけど体がすごく弱くて、首相撲でぶん投げられたり、試合前から気持ちで負けたり(苦笑)。小さいころはいじめられることもあったし。でも、今は体も強くなって、組んでも負けないし、負けん気も(笑)」
HIROYA「気の荒さはすごく大雅と似てるんですよ」




 4月のプロデビュー戦は3RKO勝利を収めたものの、持ち前の気性の激しさが試合中に出てしまった、という。
龍聖「『俺、何やってるんだろう?』みたいな感じでした(苦笑)。自分のスタイルじゃない『殺す!』みたいなことしか考えられなくなってて、いつもの自分と真逆な感じで空回りして(苦笑)」
HIROYA「試合で感情を出すことはいいんだけど、冷静にコントロールしながら出せたら最高なんだけどね。この前の龍聖は、感情的になって、大振りになって。そうなると穴も出てくるし」
龍聖「あの後、ずっとノップにいじられて(苦笑)。自分は、大雅さんみたいな元々持ってる野性的な、ババババーン、っていうタイプじゃないんですよ。HIROYAさんみたいに、しっかりと相手を見て、テクニックで戦っていくタイプなんです」
HIROYA「いくら感情的になっても、ノップがいつも言っている基本的なことさえ忘れずにやれたら間違いないよ」

 今回はヒジありルールだが、ヒジあり、なしには特にこだわりはない、という。
龍聖「昔、ノップに言われたことがあるんです。『団体が10個あって、そのうち3個がヒジなしだと、ヒジなしに絞るとその3個しか出られないでしょ。でも両方できたら、お前、どこでも出れるじゃん』って。それがすごく響いて、なんでもできる選手になりたいんですよ」
HIROYA「龍聖ならどちらもやれると思います。それで自分の方向性が見えてきて『あのベルトが欲しい』となれば、そこを目指せばいいんじゃないかな」

 龍聖の目下の課題は「学業」。今回の試合が終わると、11月までは試合をせず、学業に専念するという。
龍聖「中学の時は結構勉強ができて、学校で一番頭が良かったんですよ(笑)。でも、どっちも中途半端というか、かみ合わない時期があったりして、高校では今、ちょっとまずいっす(苦笑)」
HIROYA「勉強はした方がいいし、大学も行った方がいいってずっと言ってるんですけど(苦笑)」
――高校に入ってからは全然勉強してこなかったそうですけど、大丈夫ですか?
龍聖「多分、俺、やればできるんですよ(笑)。やったヤツはブアっと成績が上がったりしてるんで。だからやったらできるっす」
HIROYA「やりなよ(苦笑)」
龍聖「気合いっす(笑)。やらないと、熊谷家をクビになりそうなんで(苦笑)。11月まではしっかりと勉強して、12月に試合をしたいですね」




学業専念の前の今回のREBELS。納得した試合をすることが目標だ。
龍聖「1発で終わらせたいです。自分が普通にやれば、相手になんないと思うんで。レベルは普通に違うと思うし、しっかりと見て、穴が見えたらバーン、と1発で倒したいです」
HIROYA「龍聖は技術的に上手いんですけど、倒しに行くときは上手さをパワーに替えられるんです。そういう強さ、倒す力を持ってるので、僕も楽しみです」

 ちなみに、REBELS恒例の大会1か月前会見で、龍聖は「ポエマーを倒したい」と栗秋祥梧を挑発したが、ちゃんと事前にHIROYAに許可を取ったという。
龍聖「いきなり俺が煽って、HIROYAさんに『ジムをクビだ!』と言われたら困るので(笑)。ちゃんと確認しました」
HIROYA「注目を集めることは大事だと思うし、煽るのもいいんですけど、ちゃんと節度を持ってやらないとダメ、ということは言ってます。そうしないと、格闘技自体が『程度が低い』と思われたり、親が『子供に格闘技はやらせたくない』ってなると思うし。それでジムや格闘家自体が否定されるようなことになったら、意味がないと思うんです」
龍聖「上品に、頭のいい感じでやりたいです(笑)。ポエマーは注目度が高いじゃないですか。試合数がすごい多いことだけは認めますけど、テクニックなら負けないと思うし、食ったら美味しいじゃないですか(笑)。注目されたいんで(笑)。
 自分は結構器用で、スムーズにできるタイプだと思うんですけど、すごい飽き性なんですよ。何やってもすぐ飽きちゃうんですけど、キックだけはずっと楽しくて続いてるんです。キックはまだできないこともあるし『ノップの言ってることをもっとできるようになりたい』とか。そういうのがずっとあって、今は本当に楽しいです。
 大学に行きながら、選手としてはこの先もずっとやっていって、どこまで行けるかは分からないんですけど、行けるところまで行きたいです」
 「TRY HARDの秘密兵器」龍聖は、REBELS初参戦でいったいどんなインパクトを残せるのか。8月10日は第一試合から目が離せない!!

プロフィール
龍聖(本名、熊谷龍聖)
所  属:TRY HARD GYM
生年月日:2001年4月11日生まれ、18歳
出  身:神奈川県相模原市
身  長:172cm
体  重:61kg(通常時)。
2019年4月プロデビュー。1戦1勝(1KO)

工藤“red”玲央インタビュー

インタビュー

公開日:2019/7/25

取材・撮影 茂田浩司

「ファイヤー原田の魂」プラス「TEPPENイズム」!
「早くベルトを獲って『26歳でデビューしても、
チャンピオンになれるんだぞ』と胸を張りたい。
倒して勝って、ベルト獲りをアピールする」

 「打ち合って盛り上がる試合を見せる」と言いつつも、リスク覚悟で「有言実行」できる選手はそう多くはない。
工藤“red”玲央は、どんな相手にも正面から打ち合いを仕掛け、「外れのない試合」を見せられる稀な選手の一人。
その理由は、彼のミドルネーム「red」にある。
「ファイヤー原田の『ファイヤー』からです。
“ファイヤー玲央”はしっくりこなくて、ファイヤーを“red”に変えて真ん中に入れてみたんです」








左から那須川会長、工藤、トレーナーのジョー・テッペンジム(栗秋祥梧と対戦する元ランカー)。


那須川会長のコメント
「工藤は最近本当に強くなってる。やるべきことはちゃんとやる選手だから期待してるよ。ジョーは強いよ! まだ若いし動ける。相手(栗秋)はチャラチャラして嫌いなタイプなんだよ(苦笑)。ジョーならまったく問題ない」

ジョー・テッペンジム(栗秋祥梧と対戦。元ルンピニー9位)
「相手のビデオを見たよ。フックが上手いね。でも僕にフックを打ってきたら思い切りハイキックを合わせて倒すよ(笑)。まったく問題ない」
――試合勘は?
「タイでは多分、300試合はしてると思う。最後にタイで試合したのは今年1月。テッペンジムに来たのは今年3月で、4か月になるけど、スタミナは日本に来てから上がったよ(笑)。テンシン(天心)はNO.1だから、ミットを持っているだけで力が付くし、自分もかなり動くからスタミナが付いた。だからマイペンライ(笑)」

ミット購入をめぐって大喧嘩&ジムをボイコット!
ファイヤー原田会長との「熱くて濃い」師弟関係



 工藤“red”玲央は、今、働きながら練習に打ち込める、格闘家として恵まれた環境で生活している。
「仕事はサラリーマンです。株式会社クラフティというOA機器&映像・音響機器のレンタル・リースの会社とアスリート契約をしていて、給料を貰いながら、月曜日から金曜日は朝9時から昼12時まで会社の総務部で働いて、午後はTEPPENGYMのプロ練やフィジカルトレーニングをしています。
 前は肉屋で働いてて、包丁で腕の動脈を切ったこともあるし、それ以外にもちょこちょこ怪我してて。『今日も怪我しちゃいました』と話していたら『ウチで働きなよ』とクラフティの風間社長に言っていただいて。社長は、以前、ファイヤー高田馬場ジムの会員さんだったんですけど、格闘技のスポンサーはやったことがないんです。僕は、正直、めちゃめちゃ強くて試合も勝ちまくってる選手じゃないのに、心で動いてくれているんです。めちゃめちゃお世話になっているので、結果を出してベルトを見せたいんです」

 工藤がキックを始めたのは18歳。先輩に誘われて、地元の松戸にあるキックジムに入門したが、そんなに熱心でもなければ、真面目な練習生でもなかった。
「最初に入った高校は1年で辞めてます。超ヤンキーってわけじゃなかったんですけど、タバコを吸ってるのがバレたり、いたずらが好きなんで(笑)。すごく厳しい学校で4回停学になって(苦笑)。
 それで、通信に行きながら職人をやってる時、地元のキックのジムに入門したんです。正直、一番期待されてたんですけど、20歳の頃に『地下格闘技』が流行り始めたら乗ってしまって。ジムに内緒で出場してバレて怒られたこともありました(苦笑)」

 転機は22歳。テレビでK-1に出場した「ファイヤー原田」を見たことだ。不器用ながらも、打ち合い上等の熱い全力ファイトを繰り広げる男の姿に、工藤は感じるものがあった。
「僕は行動が早いんで(笑)、テレビで見てすぐジム(ファイヤー高田馬場ジム)に行ったんです。最初『プロは受け付けない』といわれたんですけど『いやいや、あなたもプロじゃないですか』って。最初は週2会員からでした」

 松戸時代からアマチュア大会に出ていたが、ファイヤージムに入門するとファイヤー会長から「アマチュア大会から出ろ」と命じられて、工藤は素直に従った。
「ファイヤーさんに『ジムを替わったんだから、最初から出ろ』と言われて、J-NETのBリーグから出ました。正直、早くプロでやりたかったですけど、J-NETのアマチュアの試合に15試合くらい出て、負けたこともあるんです。だから、僕はまだプロのレベルじゃなかったし、よかったと思います」

 2013年12月、26歳でプロデビュー。その後、工藤は地元の松戸から高田馬場に転居した。
「ずっと職人として働いてたんですけど、ファイヤーさんに『高田馬場に来い』と言われて、職人の仕事を捨て、自分の車も捨てて、高田馬場で一人暮らししながらジムで指導員をしたり、アルバイトをしながらプロで試合する生活を始めたんです。松戸だと駐車場代5000円とかですけど(笑)、都内は駐車場代も高いし、バイト生活では無理だったんで」

 2017年10月まで、工藤はファイヤー高田馬場ジムで過ごした。
 ファイヤー会長との師弟関係は「熱い」ものだった。
「よく言い合いもしました。それはジムを良くしたいからなんです。たとえば、ミットがボロボロになると会員さんは僕に言ってくるんですよ。会長には言いにくいし、プロ選手は僕ひとりなんで『玲央君、ミットが臭わない? ボロボロだけど』って。
 それで、僕は会長に『会員さんからそういう声も出てるんで、新しいものに替えましょう』と言ったらキレ出すんです。『新品を買うには金がかかるんだよ! 偉そうに言うな!』って。僕は、サンドバッグとかなら高額だから分かるけど、ボロボロのミットも替えられないって何のためにジムやってんだって。言い合いになって『いいよ、こんなとこにもう来ねえよ!』って本当に3日間ジムに行かなくて。電話が掛かってきてジムに行くと、ミットは新品に替わってたんですよ(笑)」

 何度ぶつかっても、工藤はファイヤー会長が好きだった。
「教えるのって、自分の持ってるものしか教えられないんです。ファイヤーさんには教われるものは全部教わりました。これを言うとファイヤーさんは怒るかもしれないけど(笑)技術的なものよりも気持ちの部分ですね。
 『チケットを買って見に来てくれる人を大事にしろ』ってずっと言われてて、僕は今でも試合終わると、チケットを買ってくれた人全員に試合翌日から2日間掛けて『ありがとうございました』って連絡します。そういうことがスポンサードして貰うことにつながったのかな、と思うし、正直、今の子は昔に比べたらそういうことをしないですよね。
 ただ、あの人は営業が出来ないんですよ(笑)。試合になると80人ぐらい呼んでたんですけど『行くよ』『お願いします』なんです。
 僕は人なつっこくて(笑)『お願いします。いい試合するんで』ってお願いして、チケットをMAXで150枚とか売りました。ファイヤーさんには『現役の時に知っておけばよかった。勉強になった。見習いたいよ』って言われました(笑)」

 2017年、ファイヤー氏は会長職を辞め、ジムの名称も変わった。それを機に、工藤はTEPPENGYMに円満移籍。ただ、ファイヤー氏との関係は今も続いている。
「たまに連絡を取ってます。ファイヤーさんが志村三丁目に『ネオファイヤージム』を作る時に手伝って、オープンしてからも行ったりしています。ジムは会員さんも増えてて、調子いいみたいですよ」






TEPPEN GYMに移籍して進化。
「天心は年下だけど憧れだし、毎日刺激を受けてます。
誰が相手でも倒して勝って、ベルト獲りをアピールするだけなんで」



 工藤とTEPPEN GYMの関係は古い。現在のようなジムが出来る前の、松戸の体育館を借りて練習していた頃からである。
「天心がプロデビューした頃(2014年)に『地元で格闘サークルをやってる』と聞いて『俺、地元なのに知らねえよ』ってなって。試合会場で(那須川)会長に会って『地元なんで、練習したいのでお願いできますか』って」
 練習日と場所を聞き、住んでいた高田馬場から地元の松戸市へ。体育館に行くとTEAM TEPPENのメンバーがいた。
「15、16人いて、ジュニアの選手たちの中に稲石(竜弥)がいたんです(笑)。稲石とは付き合いが長くて、仲いいんですよ。
 始めは子供たちも『何、この人?』って感じだけど『関係ねえ』と思って。マススパーをやったら(寺山)日葵にボコボコにされて、天心には何も出来なかったです(苦笑)。『テクニックがちげえ。何、このサークル?』って思って、それから出稽古に行くようになったんです」
 TEPPENでの出稽古で学んだことを、ファイヤージムに取り入れたこともあった。
「ファイヤージムでクラスを持って指導してたんですけど、TEPPENでやったことを取り入れたらファイヤーさんが気にくわなそうな目でにらんでたんですよ(苦笑)。ずっとやってたら定着しましたけど」

 TEPPEN GYMが松戸市小金原に常設のジムをオープンしたのが2016年11月。天心の活躍が全国に知れ渡るにつれて会員が急増し、2018年2月には現在の新松戸駅近くに移転し、タイ人トレーナーが常駐する充実した環境となった。
 工藤は2017年10月にファイヤージムからTEPPENGYMに移籍。体育館時代、小金原時代、現在の新松戸と、TEPPEN GYMの変遷を知る一人である。
「『(小金原に)小さなジムを出す』という話は聞いてましたし、オープンの初日からいました。所属になってからは目の前のたこ焼き屋のおっちゃんと仲良くなって、みんなに広めてあげたり(笑)。
 TEPPENで練習するようになって『視野』が広がりましたね。それまでは攻撃を貰っても我慢して打ち返す、昔のスタイルだったのを、ちょっとずつ貰わないようにして、自分の距離で戦えるように変えていって。まだ完成じゃないですけどね。それが出来てれば今頃はチャンピオンになってるんで(苦笑)」

 TEPPEN GYMには、那須川天心を筆頭に、ベテランからジュニアまで「世界のトップ」を見据えて連日切磋琢磨している。その環境が工藤のやる気を一層刺激する。
「やっぱ毎日『いいもの』を隣で見れるんで、勉強になるんですよ。僕、TEPPENで週2回指導もしているんですけど、小さい頃からキックをやってきた高校生の動きから『こういうテクニックもあるな』と見て覚えたり。プロが僕ひとりだったファイヤージムではなかったことですね」

 そして、何よりもキック界のトップランナー、那須川天心が隣にいることが工藤の意識を大きく変えた。
「そばに天心がいると、刺激になるし、勉強になるし、尊敬もしてます。年齢は違うし、年下に憧れるなんてなかったっすけど、憧れですね。ああいうスタイルになりたいわけじゃないけど『もっと強くなりたい』って思いますよ。
 天心は、練習に対する姿勢も違います。たまに僕が練習にぬるくなると、すかさず天心に注意されるんですよ。『全然気持ちが入ってないから、そんなんじゃ勝てないですよ!』って」

 REBELSでの過去2戦、工藤は激しい打ち合いで会場を湧かせた。特に、今年2月「パンクラス・レベルス・リング1」でのJIRO(創心會)戦は、昼の部の盛り上がりに火を付ける好勝負を展開して、存在感を発揮。だが、その代償として怪我を負い、医師からは「しばらく練習は休んだ方がいい」と告げられた。
「それで、仕事が終わって家にいたら天心から連絡が来て『もう練習した方がいいっすよ。怪我したところは使えなくても違うことが出来るじゃないっすか』ってガーっと言われて(苦笑)。そうだな、と思って練習を再開して、やれることをやってきました。言われなくなったら終わりなんで」

 今回は半年ぶりの復帰戦だが、ブランクの期間も(天心の叱咤激励もあって)練習は怠っておらず、工藤は自信を持って臨む。
「今まで出来なかった動きがあって、ずっと練習してきて3週間前に突然出来るようになってたんですよ(笑)。僕は鈍感なんで、自分では分からなかったんですけど、会長に『最近いいね』と言われて、天心にも『最近動きいいですね。前と全然違いますよ』って。それで初めて『変わってきたんだな』って気づいて、自分でもしっくりと来るんです。
 『REBELS.62』の記者会見(7月13日)で『REBELSでの前回、前々回の試合よりもかなりレベルが上がってて、かなり強くなってる』と言ったのはそういうことです」

 工藤には、明確な目標がある。
「ベルトが欲しいです。ベルトを巻いたら『ちゃんと言ったことを守ったぞ』って、みんなに胸を張れるじゃないですか。
 昔、職人として現場仕事をしながら『俺はプロになる』ってずっと言ってたんですよ。でも親に『あんたはプロになんかなれない』って言われて、それで喧嘩になったりしてたんです。同じ年齢の子たちは結婚したり、正社員になってボーナスを貰ってるのに『あんたはどうするの?』って。でも26歳でプロになった時『それはすごい』っていわれて。
 途中で遊んだ時期もあったんです(苦笑)。週1だけ練習に行ったり。だから時間も掛かったけど、諦めたら終わりなんで。26歳っていうプロとしてのスタートが遅かった人間でも、頑張ったらチャンピオンになれる。そういうことを悩んでいる人にも言えると思うし、そういう気持ちを会長はサポートしてくれるんで」

 対戦相手のMr,ハガは、WMC日本バンタム級3位。今回がプロ30戦目で、キャリアでは負けているが、特に気にも留めていない、という。
「相手(Mr,ハガ)はなんか注目されてるじゃないですか(*記者会見での独特の喋りとたたずまいが話題になった)。そんなもん関係ないですよ。相手は誰でも、右でも左でもいいっす。打ち合っても打ち合わなくても自信あるし、僕はやることは決まってるんで。倒して勝って、ベルト獲りをアピールするだけなんで。ぜひ8月10日、後楽園ホールで僕が倒して勝つところを見てください」
 熱い「ファイヤー魂」と、頂点を目指して切磋琢磨するTEPPENイズムで、工藤“red”玲央は、バンタム級チャンピオンを目指して疾走する。

プロフィール
工藤“red”玲央(くどう・れっど・れお)
所  属:TEPPEN GYM
生年月日:1987年5月8日生まれ、32歳
出  身:大阪府豊中市 身 長:163cm
戦  績:2013年12月デビュー。19戦7勝(4KO)7敗5分。
J-NETWORKバンタム級4位

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